命のバトン

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陸前高田市を訪れたのは、まだオリンピックの話題も少ない、初夏だった。私はあの「奇跡の一本松」の雄姿を見たく、車を海の方向へ進めた。右折すると、陸前高田の街が一望できる。すると遠くに、1本の松が見えた。あの大きな津波に耐えぬいた、あの松に間違いない。勇ましく立派に、そびえ立っているはずだった。しかし私には、何故だか孤独で淋しげに映った。

 

近づこうにともそこには道がない。そう、そこは被災地である。海岸に近い松までの道は、未だ整備されていないのだ。まるで、そっとしていて欲しいと言わんばかりのように、人を近づけるのを拒んでいるようにも思えた。そう、その松のある場所は、神聖な場所なのだ。

 

多くの松の中で、唯一、生きのびた生命だった。しかしその期待の命も、終わりを迎えていたのだ。あの時は、出逢えた感動で気づかなかった。枯れ果てているようでもなかった。ただ、何だか耐えているようだった。そう、その姿が、人々の勇気を与えていたのだ。

   

川崎は、晩夏を迎えている。あれから、何日経っただろう。被災地の復興のニュースを聴くたびに、あの景色を思い出す。ある新聞の記事を見た。一本松のその後を紹介している内容だった。「自立の一本松心にとどめ」という見出しである。記事を読んでいくと、奇跡の松は枯死し、人の手により保存されることになったというのだ。陸前高田市の計画では、5つに切断し木の幹をくりぬいて、金属製の棒を入れ復元するという。これも震災の現実なのか。


 一方、奇跡の一本松の子どもたちは、順調に育っているという。専門家の手によって、自力によって栄養を取れるようになったという。この松の子供達が早くこの里に帰り、親木に寄り添う日を待ちたい。再び、復興のシンボルとして、この街を守って欲しいと願わずにはいられなかった