2011年5月アーカイブ

書斎

DSC06155.JPG 司馬遼太郎記念館を訪ねた。敷地内にある自宅の書棚には、6万冊の本が納まっているという。自宅の門から玄関の脇を抜け庭に入る。手入れのいき届いた木々の隙間から、書斎が見えてくる。

 

 『街道をゆく』の執筆資料が、そのまま置かれている。その椅子は今なお、主を待っているかのようだ。

 

 この机、この場所から、あの『坂の上の雲』や『龍馬が行く』などの作品が誕生した。ここを訪れた旅人は、歴史のへと誘われるのだ。

 

司馬遼太郎文学を支えた多くの書籍や庭の木々に囲まれていると、明治時代の文明開化の様子が目に浮かぶようだ。

 

司馬氏は『21世紀に生きる君たちへ』で、歴史についてこう語っている。「それは、大きな世界です。かつて存在した何億という人生がそこにつめこまれている世界なのです。・・・」

 

「私は少なくとも2千年以上の時間の中を、生きているようなものだと思っている。この楽しさは ー もし君たちもそう望むなら ー おすそわけしてあげたいほどである」

 

 司馬氏の歴史観が、登場する人物を輝かしく捉え、文学の世界で現代人の心に蘇らせる作風となっている。私はその原点ともなるこの書斎に置かれている本に、興味をもたずにはいられない。

川崎市の食の安全・安心

福島第一原発の放射能汚染の影響で、食の安全・安心に対する市民の関心が高くなっている。神奈川県内では「かながわブランド」と称された一部の特産物に、食品衛生法の暫定基準値を上回る生産物もでた。そこで、川崎市内の「農産物」への対策と、情況について取り上げる。

 

川崎市補正予算には「衛生研究所管理運営事業費」「検査機器等整備費」として、2110万円が計上された。川崎市衛生研究所に高度な検査機器を購入するためである。また、「食品衛生検査事業費」として、600万円が計上された。これは、北部市場と南部市場に新たな放射能検査機を購入し、食品に対する計測を強化する。市民の食の台所である市場で、放射能チェックが可能となる。

 

一方、JAセレサ川崎も独自の検査を行い、市内で生産される「かわさきそだち」の結果を公表するとしている。

 

 結果の公表は、生産者や消費者にとって有益であることに留まらず、風評被害を未然に防ぐことにもなる。川崎市で新たに導入する検査機器をフルに活かし、早急な検査結果の情報開示に努めてもらいたい。特に、小さい子供を持つ家庭にとっては、正確な数値結果のみが頼りになるからである。

ライト設計

DSC06114.JPG天才建築家フランク・ロイド・ライト。以前から観てみたかったこのライト建築。ニューヨークのグッゲンハイム美術館を訪ねて以来、2箇所目の鑑賞です。日本に残されたライト建築は、たった4箇所。写真はそのうちの1つ「旧帝国ホテル正面玄関」です。

 

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  この建築物は1967年に解体され、東京から愛知県の明治村に移築されたものです。ホテルとして44年の儚き短命に終わったこの建築物は、その後まったく違った運命をたどりながら、快く来客を受け入れ続けていました。当時、起こったライト館の保存運動が実らず、全体の6分の1だけがここに保存されています。

 

DSC06134.JPG さて、入口から中に入ると2階の吹き抜けが迎えてくれます。ブラウンに染まった幾何学模様、大谷石とテラコッタの意匠は、実にそこにいる人の心を落ち着かせてくれます。あのマリリン・モンローも、この空間を歩いたとか・・・。ここでは、最高のホテルにふさわしい、最高のデザイン建築であったことを、記憶に留めることができます。

川崎市の放射能調査

川崎区浮島には、東芝が所有する原子炉がある。この「原子力研究所」の実験炉は既に停止しており、先日、市の調査が入ったばかりである。臨海部にはそれを囲むように、神奈川県が設置している測定器が5箇所ある。その一つの情報が、朝日新聞にでてくる、川崎市の大気中の放射線量のデータである。

 

このところの数値をみていると、毎時0.070マイクロシーベルト前後を推移している。一方、川崎市でも、川崎区田島にある公害研究所の測定器で観測した数値を公開している。こちらの数値をみても毎時0.050マイクロシーベルトを推移している。これらの量が人に与える影響は、学者によっても見解が分かれている。

 

川崎市の補正では、公害汚染防止対策事業として890万円を計上し、放射能の観測体制の強化を急いでいる。川崎市議会での議論のやり取りで、市の答弁によって、「北部地域に新たに観測所を設置する計画がある」ことが分かった。後で市の担当者に設置場所を尋ねると、まだ、検討中だとして説明はない。

 

 我々が安心を得るためには、市の情報と説明が基本となる。まず市は、現状の把握を行う必要がある。特に川崎市では、海側と内陸側(北部)では、地形も違えば気象も違う。北部の観測所の設置を出来るだけ急ぎ、データをとってもらいたい。これまで、観測データの公表は限定的であった。今後は、定点観測に加えて、エリアごとの放射線量の調査も、検討するべきではないのか。

http://www.city.kawasaki.jp/e-news/info3715/index.html

補正

昨日、川崎市議会臨時会が開かれた。選挙後、初となる議会ともあり、議長や副議長などの選任が行われた。また、専決処分となっていた補正予算の議案も提案された。東日本大震災に対応した追加補正予算66800万円が、認定となった。

 

川崎市内の避難所では、いまだに多くの被災者が生活を送っている。それに伴った教育施設などに通所する、就学援助の予算が含まれた。その対象数、認可保育園4名、幼稚園19名、小学生67名、中学生25名となっている。慣れない土地に来て、新しい環境で生活を送る子ども達には物心ともの、受け入れる側の細かい配慮が求められる。

 

市民の安全・安心に関係した予算では、放射線測定機の購入予算が含まれているのが特徴だ。まず、輸入食品の検査に使用していた機器が、導入後23年経過し老朽化していた。そのために1機の更新を行う。加えて、南部市場と北部市場の食品衛生所に測定器を新たに購入する予定である。これにより、食品の放射能汚染の調査が容易になる。

 

 避難者のなかには、未曾有の大震災によって、住み慣れた地での生活を突如、奪われた家族もいるだろう。放射能の危険区域などに住んでいて、避難している人もいる。そうした被災者の気持ちを考慮すると、迅速な支援とサポートが求められる。今回の川崎市の専決は、当然の対応として評価する。また、今後は、食の安全・安心のための機材を整えモニタリングを行い、全てのアウトカムを市民に公開することも重要だ。引き続き、その取組とデータに注目したい。

42番

DSC06102.JPG川崎市議会臨時議会が開かれ、60名の議席の位置が確定しました。私の議席は前回と同様、「42番」となりました。全4列あるなかで、後ろから2列目となります。

我が党の場合、1列目が1・2期生、2列目が3期生。3列目が3期・4期生、4列目が正副議長経験者の席となっています。これから4年間の議会活動、この議席(視線)からしっかり議論し、政策の提案や地域課題を取上げて参ります。

立志

DSC06095.JPG表題の意味は、「ある事を成し遂げようとして計画し、気持ちを高める事。また、人生の目的を定め、決心する事をいう。」まさに今日は、そんな心境です。

川崎市議会で、全議員が初顔合わせとなる「議員総会」が開催されました。新党の台頭により、新人議員の顔触れが目立ちました。激戦を勝ち抜いてきた諸氏の表情は、凛々しく映りました。

 

こうしてバッジを頂くのも4回目となり、改めて身の引き締まる心境です。これから、「公約」(宮前ガバナンス2011)の実現に向けて、奮励努力してまいります。

音楽空間の惨状

DSC06080.JPG「ミューザ川崎シンフォニーホール」を視察した。想像を超える惨状に、施設の安全対策に疑問を持つばかりである。311日の地震発生時には、ステージ上にて、楽団がリハーサルをしていたというから驚きである。地震の揺れとともに避難したため、難を逃れたという。もしあの時、公演中だったとしたら、大惨事になっていただろう。

 

復旧工事は、「設計期間が3カ月から6カ月、解体を含めた工事期間を1年かけて行う予定。完了は平成24年度末を目指す、と担当者は説明する。議会に対しては復旧工事などのために、6月補正予算にて20億から30億円の上程を見込んでいるという。

 

予定されていた公演は、市内の音楽大学や公共施設などのホールに場所を移し、代替公演を実施するよう調整している。「モントル―・ジャズフェスティバル・インジャパンかわさき」も、代替公演会場について検討となった。建物の被害と併せ、関連した被害も想像を超えるものになりそうである。

 

DSC06085.JPG このホールは、「音楽のまち・かわさき」の象徴として、これまで川崎の魅力づくりに貢献してきた。しかし、甚大な被害をもたらした地震によって、儚くもそのシンボルも被害を受けてしまった。損害の責任はどこにあるのか、当然、議会でも議論になるだろう。ホールの早い復旧が待たれることになる。

DSC06057.JPG 震災発生から2か月以上が経った今でも、道路横には(写真左)、瓦礫が山積みとなっています。このようなな状況が、あちらこちらでみられます。内陸の空き地(写真下)には、運ばれた瓦礫が悪臭とともに山積みになっていました。その量の多さに圧倒されます。早急な処理が必要です。

 

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DSC06045.JPG   夜に、小学校の前を通りました。不自然な程、校舎の全ての教室が明るく煌煌としていました。普通に考えてみれば、夜の会議をしているように受けとります。なんで、夜に会議をやっているのだろう・・・。実は、被災者の避難生活の灯りだったのです。写真右は、移動中にみかけた建設中の架設住宅です。首相は、8月中旬までに仮設住宅の全員入居を、約束したといいます。早急にやってほしいことです。

 

被災地を訪れ感じたのは、暗い現実ばかりではなく、明るい兆しでした。それは、多くの若者が被災者の心を悼みながら、復興に汗を流していることです。時間は多少かかっても、一歩づつ前進していることは、間違いありません。実際の復興を支えている原動力は、「絆」であり「希望」であり「善意」だったのです。

私は再び被災地で、汗をかいてこようと思っています。また、ボランティアに行かなくてはという使命感が湧いています。まだまだ、多くの手が必要な事を実感して帰ってきました。「自分に出来ること」をまず考え、足を一歩踏み出すことが、被災地の再生のにつながるのです。

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 今朝の朝日新聞に、「被災地を見たカーティス教授に聞く」という見出しで記事が紹介されていました。ジェラルド・カーティス米コロンビア大学教授(日本政治)の感想文です。氏曰く、「政治家は、被災地に入り、入れ代わり立ち代わり視察に訪れ、市長や町長の話を聞いて帰るだけ。被災地に泊まり込んで、生の声を聞くべきだ」と語っています。

 

 私ごときが被災地の声を、ここで伝えるだけの協力をしてきたわけではありません。しかし、私のボランティア活動の経験から、聞いたことをお伝えします。

 

 1ケ月間、現地でボランティアを行っている青年との会話の一部です。

「著名人から100億円の寄付が寄せられましたよね。名前、なんでしたっけ。多くの義援金も集められましたよね。あれは、どこでプールされているんでしょうか。・・・」

 

「あの、毎日ボランティア活動していて、トラックが足りないんです。瓦礫や土のうを運ぶための車が、今、必要なんです。8人グループで家1件のお手伝いをしています。8人で1台のトラックがあれば、活動がだいぶ助かるんです。あの義援金を少しでも、ボランティア活動に充ててもらえたら・・・。」

 

 ジェラルド・カーティス氏は、感想の一つに「今、政治に必要なのは、スピードと決断だ」とも指摘しています。善意から集められた義援金を、現在も汗をかいている、善意の若者達のために、活用することはできないのでしょうか。

 

明日は、「復興への道編」です。

DSC06062.JPG 石巻市災害ボランティアセンターを出発して着いた先は、ある一件のお宅です。そこは、おばあさんが一人暮らしていた、自宅です。推測ですが、海岸から2㎞位のところで、津波が人の背丈ほど到達した地域のようです。1階の室内は、ほぼ浸水した様子でした。幸いにおばあさんは、地震の時に避難したので、救われたそうです。

 

DSC06065.JPG 早速、作業に取りかかります。匂いがきついため、防塵マスクは欠かせません。粉塵のための防塵用ゴーグルも着けないと、目が開けていられません。作業内容は、家の周辺に溜まってしまった泥を取りだし、土のうに詰める作業です。その泥は、ただの泥ではありません。海の砂や重油が混じり、黒くなっていました。時には、魚やカニが混じっています。

 

DSC06060.JPG DSC06063.JPG 左の写真は、作業後の側溝です。これでようやく家庭から出る下水が流れます。ここで出来た作業は、ほんの一部です。その他の周辺の側溝はほとんど、ヘドロが取り除かれていません。これからも気の遠くなるような作業が続きます。引き続き、ボランティアの手が必要な事を感じました。

 

一緒に作業してくれた、ボランティアの皆さんに感謝です。

 

明日は、「被災地からのメッセージ編」です。

DSC06041.JPG震災から2カ月が経ちました。「被災地へボランティアに行きたい。」と、かねてからそう思っていました。やっと準備が整い、少しでもお役にたてればという気持ちで、被災地を目指しました。東北自動車道を利用した道のりは、7時間にも及びました。高速道路を走行する車には、消防庁、警察庁、自衛隊等の災害派遣車が目立ちます。目的地は、「石巻市災害ボランティアセンター」です。

DSC06059.JPG石巻市に到着です。防災服に身をまとい、防塵マスク、防塵ゴーグル、長靴・手袋を用意し、ボランティア登録を行います。登録を済ませると8人組のグループに分かれます。そこから、ボランティアを必要とするお宅まで、グループごとに車に乗り移動します。

   

DSC06067.JPG その時に聞いた話によると、ゴールデンウイーク中にボランティアに来られた方は、以外にも多くはなかったそうです。報道では、期間中にボランティアが殺到する映像が映し出されていました。受け入れ制限をしていることを知り、期間中を避けたためだそうです。

 石巻市災害ボランティアセンターでは、期間中に来られた方を、通常通り受け入れていたそうです。期間があけた9日から、どっと増えたといいます。                           

明日は「活動編」

司令塔

DSC05885.JPG文科省地震調査研究推進本部の予見では、М8クラス(東海大地震)の発生率が、この30年以内に87%あると示唆しました。震災後、かなり高い確率に変わってしまったことは、危機管理体制に影響を与えます。これを受けた首相の言葉によって、浜岡原発停止が、決定となりました。この決断が、英断だったのかその場しのぎだったのか、マスメディアで議論の対象になっています。議会制民主主義の日本で、政策決定にトップの決断がどう反映されるべきなのか問われています。

 

迅速性と熟議たる議論のどちらを優先するか、という問題提起がここに隠されています。いつ発生するか分からない地震に対して、議論など待っていられない、という意見もあります。一方で、大統領制とは違う議会制民主主義の日本なのだから、議会に一度でも問うのが筋ではないかという議論です。

 

写真は、川崎市役所第三庁舎にある川崎市災害対策本部(室)です。手前の席が、川崎市長(災害対策本部長)席です。両サイドの席には、各局長が座ることになります。災害発生時にはここで、各種の情報が集約され、対応が協議されます。言わば、川崎市民の生命と財産を守るための「司令塔」になるわけです。当然、決定事項は、合議制によって方向性が決まり、議会へ報告となります。

 

今回、災害対策本部を初めて訪問し感じたのは、現場での情報収集能力と体制がどの程度整っているのかが、議会で優先すべきチェック対象だということです。そうした上でのトップの決断が、正しい判断と信頼となります。どんな場面でも、トップの決断がその後の流れを決定します。ましてや危機管理面では、命にかかわることにもつながっていきます。首相の決断、対する議会の意見は置き去りにされてはいなかったのか。国の政策決定過程に、疑問を感じています。

節電ビズ

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ゴールデンウイーク、皆さんはこの連休をどうお過ごしでしょうか。明日からも、6日の平日を休暇にして、6連休の方もいるのではないでしょうか。さて私の連休は、各種団体の総会・懇親会、冠婚葬祭、少年野球大会開会式等、連休中も地域の会合に出席させて頂いています。そうしたなかでも「忙中閑あり」といきたいところです。

 

さて、今日のテーマは「節電ビズ」です。地球温暖化対策のため導入されてきたクールビズ(ノー上着、ノーネクタイ)ですが、今年ばかりは「節電ビズ」とも呼ぶそうです。国会ではこの節電ビズを、東日本大震災に伴う電力不足から、節電効果を高めるため1カ月前倒しの51日からスタートさせました。国会中継をみても、議員のノーネクタイが目立ちました。

 

川崎市でも国の決定を踏まえ全職員を対象に、夏の軽装期間を51日から1031日(例年は61日~930日)まで、2ケ月間に拡大し行っています。とは言っても、朝夕はまだちょっと寒いくらいですけど・・・。市議会議員(一部)も市の取組みに併せて、本会議以外において同様の対応をとっています。これからの会合(5月中)でも、ノー上着、ノーネクタイでお邪魔することもあろうかと思います。その時は、ご理解をお願いします。