日本の教育に足りないこと

日本の教育に欠けているものは何か。それは、言語技術を教えることである。必要な言語技術とは、修辞学や論理学、弁証法を総じてもって生まれた、テクニックを意味する。個人に求められるスキルというのは、より優れたパラグラフ・ライティングであり、自分の力で組みたてたロジックを文章で表現することにある。

 

必要な言語技術(Language Arts)を習得するには、基礎となる「型」を身につけなくてはならない。「型」とうのは、本の読み方や説明の方法論、ディスカッションの方法論など様々で、基本となるプロセスを意味している。つまり、小さいうちから言語技術の基礎を、身につけるための教育が望ましいのである。

 

次に、クリティカル・シンキング(批判的思考・分析的思考)を常に持ち続ける訓練が必要となる。情報を入手してエビデンスを発見し、自分なりに解釈・分析する。そこから、正しいロジックを導き出すためのプロセスを、常に頭のなかで意識をしておかなくてはならない。この能力が、今の子ども達には、欠けているというのだ。

 

日本教育には、結論をだすための思考的プロセスを、教える教育が必要である。私の知る限りでは、言語技術の教育と訓練を大学院で行っている。プレゼンテーション論では、エビデンスのための情報収集能力がまず問われる。加えて、それを分析し相手に伝えるプレゼンテーション能力で表現する練習を行う。こうした訓練を大学院で学ぶのでは、もう遅いのである。

 

 日本の文化は、ある意味「型」の文化であるといえる。いい方を変えれば、お家芸なのだ。言語技術を教育に、低学年から導入する必要があるというのは、その「型」が知識を習得するうえで基礎となり、知性を育てていくからである。既に欧米などのほとんどの国では、言語教育がグローバルスタンダードとなり、優秀な人材をどんどん排出しているのだ。